年表(昭和)
最終更新日:2012年6月1日
年 | 月日 | 北区の出来事 | その他の出来事 |
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1926年(大正15年、昭和元年) | 5月5日 | 鳥屋浦事件発生 | |
5月18日 | 児童の同盟休校始まる | ||
7月25日 | 無産農民学校の上棟式行われる。同日、久平橋事件発生。木崎の小作争議は全国の大ニュースとなる (図1) |
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12月25日 | 昭和と改元 | ||
1929年(昭和4年) | 8月23日 | 3代目万代橋竣工 | |
10月 | 世界恐慌 | ||
11月 | 葛塚町上水道給水開始 | ||
1930年(昭和5年) | 7月 | 木崎村小作争議で地主側と小作側の和解が成立 | |
1931年(昭和6年) | 4月 | 新井郷川と阿賀野川の合流点の閘門工事完成 | |
9月 | 満州事変 | ||
11月11日 | 日本放送協会新潟放送局が開局 | ||
1932年(昭和7年) | 松ヶ崎漁港現在地に建設 | ||
1933年(昭和8年) | 10月 | 大正4年に着工した、阿賀野川改修工事が完了 | |
11月 | 松ヶ崎浜裏の砂丘を開削した、新井郷川放水路工事竣工。阿賀野川に合流していた新井郷川の水が、直接海に流れるようになる | ||
1934年(昭和9年) | 7月1日 | 大正9年より行われた新井郷川改修工事の竣工式 | |
1936年(昭和11年) | 2・26事件 | ||
1937年(昭和12年) | 日中戦争始まる | ||
1939年(昭和14年) | 6月 | 白新線建設ルートが葛塚経由に決定し、工事が始まる | |
11月1日 | 早暁、阿賀野川松ヶ崎下の渡船場から出た渡船が転覆、死者30人の大惨事。これを受け、松ヶ崎浜村では阿賀野川への架橋を決議 | ||
1941年(昭和16年) | 太平洋戦争始まる | ||
1942年(昭和17年) | 8月 | 松ヶ崎浜村では、架橋のための財源を得るために村有地を売却していたが、この月から工事が始まる | |
11月1日 | 新潟日報創刊 | ||
11月29日 | 松ヶ崎浜村上の渡し場から新潟方面へ渡河する客を乗せた小型モーター船が転覆、32人の死者を出す。 | ||
1943年(昭和18年) | 3月31日 | 白新線工事中止となる | |
7月24日 | 松浜橋竣工(10月の洪水により一部流失) | ||
1945年(昭和20年) | 8月15日 | 終戦 | |
1946年(昭和21年) | 7月 | 2代目松浜橋開通 | |
11月 | 農業会葛塚診療所(豊栄病院の前身)診療開始 | ||
11月3日 | 日本国憲法公布 | ||
1947年(昭和22年) | 4月1日 | 新学制の発足 | |
1949年(昭和24年) | 6月1日 | 新潟大学開学 | |
1951年(昭和26年) | 12月17日 | 4代目(現)泰平橋完成、開通式 | |
1952年(昭和27年) | 12月 | 7月に工事が再開した白新線が、新発田~葛塚間で営業を開始 (図2) |
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1954年(昭和29年) | 4月5日 | 松ヶ崎浜村は新潟市へ編入合併 | |
8月24日 | 昭和27年に着工した新井郷川排水機場の通水式。試運転を開始 | ||
11月1日 | 濁川村、南浜村・坂井輪村は新潟市に編入合併 | ||
1955年(昭和30年) | 3月31日 | 葛塚町、木崎村、岡方村が合併し、豊栄町ができる。人口26,122人 | |
7月15日 | 医療法人恵生会開設の南浜病院が島見町で開業 | ||
12月5日 | 東消防署松浜出張所新設 | ||
1956年(昭和31年) | 3月23日 | 高森の大ケヤキが県の天然記念物に指定される | |
4月15日 | 白新線上沼垂~葛塚間が開通し、白新線白山~新発田間全通。新崎駅開業 | ||
8月22~23日 | 住吉祭、川開き、商工祭、開港記念祭を統合した新潟まつりが開催 | ||
1957年(昭和32年) | 2月11日 | 黒山駅・早通駅開業 | |
3月 | 日本瓦斯化学工業株式会社松浜工場(昭和46年10月、三菱瓦斯化学(株)松浜工場と名義変更)が完成 | ||
4月20日 | 自動車等の交通量増加のため、葛塚市が本町通りから常盤町へ移転、現在に至る | ||
1958年(昭和33年) | 4月29日 | 新しい新潟駅開業 | |
12月 | NHK新潟放送局とラジオ新潟(現新潟放送)がテレビの本放送開始 | ||
1959年(昭和34年) | 4月1日 | 松浜市は交通上の支障のため、本村市場を廃止し、新屋敷市場だけが残され、現在に至る | |
7月22日 | 豊栄町と長浦村合併、人口34,625人 | ||
1960年(昭和35年) | 1月10日 | 長戸呂浄水場完成、給水を開始 | |
4月1日 | 豊栄町浜浦地区が新潟市へ分離編入し、白勢町と命名される | ||
1961年(昭和36年) | 7月 | 「東洋一」といわれた新井郷川排水機場竣工 | |
9月16日 | 第2室戸台風発生、被害甚大 | ||
1962年(昭和37年) | 2月1日 | 豊栄町消防本部を設置する | |
3月6日 | 豊栄町役場新庁舎(現区役所)完成し、新庁舎で執務を開始 | ||
西堀の埋め立て始まる | |||
1963年(昭和38年) | 6月30日 | 福島潟土地改良区による干拓起工式が行われる。干拓面積27.3ヘクタール | |
7月11日 | 新潟東港建設工事の起工式 | ||
12月16日 | NHK新潟放送局がテレビのカラー放送開始 | ||
1964年(昭和39年) | 6月16日 | 午後1時2分、新潟地震発生、震度5、マグニチュード7.5 いたるところで亀裂が生じ、土砂噴出、地盤沈下が起こる。 松浜橋落橋流失、松浜漁港は壊滅、直ちに復旧に着手 |
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10月1日 | 北地区事務所発足(昭和46年4月2日、現在地に新築移転) | ||
12月19日 | 3代目(現)松浜橋完成 | ||
6月6~11日 | 新潟国体 | ||
10月 | 東京オリンピック | ||
1965年(昭和40年) | 2月27日 | 新潟鉄工機械工場団地協同組合設立。新崎に鉄工団地造成 | |
6月 | 阿賀野川河口地域に水俣病類似患者が発生し、社会問題化 | ||
7月10日 | 関屋から移転した新潟競馬場は5月15日に完工式が行われ、この日開場し、中央競馬が開催される | ||
11月 | 豊栄町発足10周年記念行事開催 | ||
1966年(昭和41年) | 6月11日 | 越後豊栄電報電話局開局、電話自動化 | |
7月17日 | 7・17水害発生 18日までに太田川、加治川、新発田川が破堤、豊栄町では8割が浸水。7月30日にようやく市街地の汚水をほぼ完全に排除したが、福島潟周辺農地の完全退水は8月中旬だった。町民の避難所が42カ所設置、8月22日までに延べ11万2千人余りを収容。濁川地区も被害甚大。 |
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10月 | 国道(現県道3号線)内島見十字路に豊栄町初の信号機設置 | ||
1967年(昭和42年) | 4月8日 | 豊栄高校の第1回入学式が葛塚中学校で行われる | |
6月1日 | 新潟港が特定重要港湾に指定 | ||
7月 | 新潟開港100年・新潟震災復興記念新潟大博覧会が開催 | ||
8月28日 | 8・28水害発生 県北部、記録的な豪雨。26日からの雨は28日に豪雨となり、この日までの降雨量は262ミリに達し、29日に再び加治川が破堤、新井郷川右岸の町域が水没。濁川地区被害甚大 (図3) |
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11月21日 | 新潟県民会館の落成式 | ||
1968年(昭和43年) | 4月1日 | 太夫浜に日本キリスト教団立の敬和学園高等学校設立 | |
12月10日 | 国営福島潟干拓事業のくわ入れ式 | ||
この年、太郎代字新渡は新潟東港建設用地に入っているため、島見町横山に集落総移転(昭和45年に新富町と命名) | |||
12月16日 | 新潟総合テレビが本放送開始 | ||
1969年(昭和44年) | 5月1日 | 県住宅供給公社造成の早通団地の分譲開始 | |
11月16日 | 早通団地に建設中の県営住宅のうち3棟が完成し、最初の47世帯が入居 | ||
11月19日 | 新潟東港の開港式 | ||
11月 | 第1回新潟市美術展開催 | ||
1970年(昭和45年) | 8月5日 | 白新町に消防署の新庁舎完成 | |
11月1日 | 豊栄市市制施行 | ||
11月 | 県が新潟東港建設計画を改訂し、規模を縮小する | ||
米の生産調整・減反が始まる | |||
1971年(昭和46年) | 4月1日 | 長戸呂浄水場が松浜・濁川地区への通水を開始 | |
9月29日 | 新潟水俣病裁判の判決が下され、昭和電工の過失責任が指摘され、2億7千余万円の損害賠償支払いが命ぜられる | ||
1972年(昭和47年) | 4月1日 | 厚生連葛塚病院は「豊栄病院」と改称 | |
8月10日 | 関屋分水路通水 | ||
10月21日 | 昭和44年から新潟市と豊栄市の共同で実施していた上水道拡張工事の完工式 | ||
11月1日 | 新潟空港新ターミナル開業 | ||
1973年(昭和48年) | 5月16日 | 福島潟に環境庁の野鳥観測ステーション完成 | |
第1次オイルショック | |||
1974年(昭和49年) | 6月20日 | 墓地公園太夫浜霊苑開苑式 | |
1975年(昭和50年) | 9月28日 | 国営福島潟干拓建設事業完工式 | |
1976年(昭和51年) | 4月1日 | 葛塚駅が豊栄駅と改称。駅では記念急行券を発売 (図4) |
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9月 | 昭和47年春に発見された阿賀野川沖合の油・ガス田は、48年6月に開発が正式決定され、この年より生産開始 | ||
1977年(昭和52年) | 4月8日 | 新潟東港の東新潟火力発電所1号機が本格運転を開始 | |
5月1日 | 新潟~両津間ジェットフォイル就航 | ||
6月1日 | 豊栄市中央公民館が新築開館。(昭和24年葛塚町公民館として開館、現豊栄地区公民館) | ||
10月24日 | 新新バイパス、海老ヶ瀬インター~競馬場インターまで2車線開通 (図5) |
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1978年(昭和53年) | 6月26日 | 6・26水害発生。 26日夕方からの雨は、28日まで続き、雨量350ミリを超える。このため、福島潟をはじめ各河川は増水したが、豊栄市民の水防活動により破堤はまぬがれた。しかし湛水と土のうからの越水等により、前新田沖、栄町、白新町、早通北地域等で浸水家屋続出、田畑の冠水の被害も発生。 |
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8月3日 | 日照りと異常な高潮により、阿賀野川に海水が流入する塩水クサビ現象発生。長戸呂浄水場取水不能となり、給水区域全域が52時間の断水 | ||
8月18日 | 阿賀野川の河川敷に阿賀野川野球場が完成、球場開き | ||
9月21日 | 北陸自動車道の新潟~長岡間が開通 | ||
1979年(昭和54年) | 6月13日 | 新潟東港の石油備蓄基地が完工 | |
第2次オイルショック | |||
1980年(昭和55年) | 11月1日 | 市制施行10周年記念式典開催 | |
12月26日 | 豊栄環境センター完成(火入れ式) | ||
1981年(昭和56年) | 3月28日 | 昭和43年に開館した博物館が新築移転(現北区郷土博物館) | |
4月 | 豊栄環境センター稼働を開始 | ||
4月1日 | テレビ新潟放送網が本放送開始 | ||
4月25日 | 東港浄水場が南浜地区への通水を開始 | ||
7月28日 | 内島見配水場給水開始、新井郷川右岸区域へ給水を開始 | ||
9月28日 | 豊栄郵便局、現局舎が完成、営業開始 | ||
11月 | 北地区公民館・松浜図書館開館 | ||
12月4日 | 新新バイパスの競馬場インター~東港インター間開通 | ||
1982年(昭和57年) | 7月 | 胡桃山排水機場完成(平成9年に増強) (図6) |
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11月15日 | 上越新幹線新潟~大宮間が開通 | ||
1983年(昭和58年) | 10月1日 | 新潟テレビ21が本放送開始 | |
1985年(昭和60年) | 6月3日 | 県庁の新庁舎完成 | |
7月1日 | 阿賀北随一の規模を誇る豊栄市総合体育館がオープン(4月から一部使用開始、落成式典は11月1日。現豊栄総合体育館) | ||
1986年(昭和61年) | 10月20日 | 新新バイパス海老ヶ瀬インターから競馬場インターまで4車線に拡張、開通 | |
1987年(昭和62年) | 9月18日 | 福島潟放水路工事起工式 | |
1988年(昭和63年) | 7月2日 | 新潟-東南アジア間の定期コンテナ船第1船が新潟東港へ入港 | |
8月10日 | 福島潟のオニバスの群生が20年ぶりに発見 | ||
11月 | 一般国道として全国初の豊栄パーキングエリアがオープン(平成5年9月19日「道の駅」に指定) | ||
12月11日 | シベリア・ランド・ブリッジ第1船が新潟東港に入港 |
(図1)
(図2)
(図3)
(図4)
(図5)
(図6)
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