大川博

最終更新日:2012年6月1日

東映映画創設者 大川 博(1896~1972)
 羽黒生まれ(当時加奈居村)
 日本を代表する映画会社東映は、鶴田浩二、萬屋錦之助、高倉健、藤純子らの大スターを生み、多くの傑作を世に送りだして来ました。
 昭和24年に設立された東映は、親会社東急の専務が会社経営と映画製作の陣頭指揮に当ってから急成長します。その立役者こそが、中之口地区出身の大川博です。
 鉄道省の役人として敏腕を振るっていた大川は、東京の大手私鉄・東急に乞われて昭和17年に入社、その経営の才能と決断力は素晴らしく、間もなく専務に昇進しました。
 東映の社長となってからは、自らもプロデューサーとして「ひめゆりの搭」「飢餓海峡」といった映画史に残る名作や「旗本退屈男」などのヒット作を生み出し、大勢の俳優、監督を育てています。
 また、多くの子供向けの名作映画を作り、母校に教育機材を寄贈するなど、教育と郷土の発展に尽くしました。

 そのほか、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の会長、プロ野球「東映フライヤーズ」のオーナーなども兼任し、幅広く活躍。日本の実業界にその名を轟かせました。
 東映フライヤーズは昭和37年パリーグのペナントを獲得、優勝祝賀会で背番号100が宙に舞い、会心の笑みで乾杯の音頭をとりました。この年、日本選手権試合でも阪神を破り、日本一に輝いた。(昭和37年10月23日)

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