正尺の神楽 石動神社(白新町1-1-11)
最終更新日:2020年6月6日
正尺の神楽(正尺神楽保存会) 市指定無形民俗文化財
天保年間(1830~1844)に、飢饉と伝染病が流行し、農民が苦しんでいるのを憂いた村上藩主は、一平という村上の彫刻師にたくさんの神楽のお頭の製作を命じました。(つづきはマップの下にあります。)
正尺1(イメージ)
正尺2(イメージ)
正尺3(イメージ)
天保年間(1830~1844)に、飢饉と伝染病が流行し、農民が苦しんでいるのを憂いた村上藩主は、一平という村上の彫刻師にたくさんの神楽のお頭の製作を命じました。それを農民に分け与え、村々の神社で悪魔退散と豊作祈願の奉納舞を行わせました。そのため、農民は少しずつ飢えから救われ、病も治まっていきました。
この話を聞いた名主の遠藤七右衛門周道(1793~1850)は、正尺の丈左衛門と近藤七郎平を村上に派遣し、一平に懇願してお頭をもらい受けました。天保5年(1834)6月に彫られたお頭あると伝えられています。せっかくお頭を入手したものの、舞い方がよくわからず、若連中が木崎まで習いに通ったといわれています。
また、四つ切舞は、慶応年間(1865~1868)に信州上田の奥田伊左衛門という芸人が、旅役者4人とともに年1度の剣舞の巡行に訪れた際、習ったといわれています。9月6日・7日の葛塚の石動神社の秋季祭礼で奉納しています。(神楽は6日夜)
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